6か月の娘はすごくかわいい。日々成長していく姿には喜びを感じるし、いろんな仕草や表情、行動に癒される。見ているだけで幸せホルモンバシバシで、疲れも吹っ飛ぶ。
けど、別居してから大変だと感じることが一つだけある。
自分の時間がないとか、睡眠時間が足りないとかは、夫がいてもいなくても変わるところではない。
夫が仕事から帰ってきたら夫と子供との時間だから、自分の時間はなかった。
夜中の授乳や寝かしつけも一人でやっていたため、いつも寝不足だった。
それはもう当たり前だから、大変とかそういうのではなくなっている。
では、変わったのは何なのか。
それは、気を抜く時間がないことだ。
気が休まらない

赤ちゃんをずっと一人でみていなければいけない。一瞬たりとも目を離していないわけではないけど、一瞬たりとも気にかけない時間はない。
ずりばいで行動範囲が広がって、なんでも口にいれる好奇心旺盛な赤ちゃんから目を離すのは怖い。
目を離したときこそ何か食べてるし、変なところにいる
最近のブームはティッシュを食べることと、コードをかじること、椅子の下に入り込むこと。
ちょ、それ、さっき鼻かんだやつ(゜-゜)(べたべたになったティッシュを手からはがし、口から引っ張る)
やー、それ埃っぽいから(-“-)(コードをぶんどる)
今頭あげたらぶつけるから、ちょ、動かないでー( ゚Д゚)(救出)
顔芸をしているわけではないが、こんな顔になる。
そんな姿もかわいい(∩´∀`)∩
家中扉全開 。トイレやシャワーは超高速。
もちろんトイレもシャワーも扉を閉めてなんて入れない。常に状況を把握できるように、なんかあったらすぐ分かるように、すぐ行けるように。
まだまだご機嫌がよろしくないことが多い時期。あまりに後追いがひどいときは、トイレは担いで入る。トイレも歯磨きもご飯も片手があれば、楽ではないが、何とかなる。
おかげで、左腕がスリムになってきた。
シャワーの時が一番怖い。お風呂は娘の肌事情で一緒に入れないから、一人シャワーで済ませる。お風呂の扉を開けていても、シャワーの音ですべてかき消される。娘に何かあっても気づけない。
だから、耳を澄ませながら急ぐ。シャワーはもともと速い方だが、ここ最近、速さに磨きがかかった。
夫が仕事から帰ってきた時だけでもゆっくりできた
別居前の、赤ちゃんと二人きりでない時間は貴重だと気付いた。
お風呂にゆっくり入れた。
歯磨きものんびりできた。
トイレでゆっくりする時間もあった。
ソファに横になってテレビを見れた。
他にも見ていてくれる人がいるだけで気が楽になる。張り巡らせたアンテナを何本か休ませよう。3本中1本くらい立てとけばいっか。
自然と気を抜くことが出来ていた。
ほんの少しでも、アンテナを休める時間って大切だな。私、休めていたんだ。
と、その時間がなくなって初めて気付いた。
別居前より笑顔が増えた

気が休まらないから精神的に辛いかというと、そうでもない。
私においては、気を張っていることの方が、別居前の精神状態よりよっぽどいいからだ。
毎日悩み、憂鬱で、顔の表面でしか笑えない。
そんな頃よりも、今はいろんなことに前向きになれる。鏡を見たり、筋トレやストレッチをする心の余裕も生まれた。
体はきついと感じることはあっても、気の持ちようでなんとかなるレベル。
もうすぐまとまって寝てくれるはずだから、それまで頑張ろう。
別居前の、子どもの笑顔でさえ吹っ飛ばなかった憂鬱さも取り去られ、心からの笑顔で子どもと向き合える。
子どもと自分のことだけを考えて過ごすって、いい

ご飯支度は手を抜けるし、洗濯物が少なくなるから家事が圧倒的に楽になる。
自分だけなら献立を考える必要もないし、何品も作らない。買い物も少なくて済む。洗濯だって毎日しなくていい。部屋もあんまり汚れない。
やらなければならないことが減ったおかげで、必然的に自由な時間が増える。
今まで、おんぶや歩行器に入れながら家事をしていた時間が、娘と遊ぶ時間になった。
遊ぶ時間が増えて、腕の中じゃなくても少し昼寝するようになった。
寝ている間に勉強したり、本を読んだり、文章を書いたりできるようになった。
自分の時間ができた。
助けを借りれるうちは借りまくろう

赤ちゃんとずっと二人きりって想像以上に大変だと実感している。
産んでからずっと一人で育てている人に、尊敬の念を抱く。
私には到底できない。
だから、助けてくれる人に感謝をしながら助けを借りる。
誰かの助けを借りれるのなら、借りていいんじゃないかと思うんだ。
私は夜寝られないから昼間少しでも体を休めるように、母の助けを借りる時がある。
自分から別居したいって言っておいて
と思う人もいると思う。
けど、助けてくれる人がいるなら甘えていいじゃん。自分で出来ることは自分でやって、出来ないことは助けてもらう。
限界がきたら誰にもどうにも出来ない。
そんな限界がいつ来てもおかしくない。
私はいつもそう感じている。
育児ノイローゼがすごく身近なものに感じるし、この言葉は響き以上に辛く重たいことなんだと思う。
手のかからない子なら、1人でも育てられるかもしれない。
けど、子どももお母さんもみんなそれぞれ違った事情がある。
夜はぐっすり寝ない、昼寝もほぼしない、寝ても30分、ずっと身体をさすってないといけない、構ってないといけない、耳栓すら効かない、色んな状況がある。
自ら父親の不在を選んだとしても、それはそうせざるを得なかっただけで、誰の助けも借りてはいけないというわけではない。
借りれる状況にあるなら、とてもラッキー。
迷わず借りよう。
私は親でも友人でも地域のサービスでも借りていくつもり。
そんなに強い人間じゃないから、そうでもしないとやっていけないもん。
助けてもらえるうちは助けてもらおう。