一緒にいるのが苦痛になったから。
妻であり母であり女である私が「別居」を決めた理由は、この一言に尽きる。
しかし、急に苦痛になったわけではない。苦痛になるまでには様々な出来事と理由がある。
考えて考えて、夫を信じ、耐える。それでもどうしようもなくなったから、離婚が頭に浮かび、別居を考えるようになる。
感情的に決めたわけでも、短絡的に考えたわけでもない。多くの時間を割き、たくさん悩んだ結果の「別居」なのだ。
いつまでも変わろうとしない夫に不満が募る

信じていた
子どもが生まれたら変わってくれる。父親らしく成長してくれる。
そう信じ、不満を募らせながらも、期待して待っていた。
私の気持ちをよそに、夫は何一つ自発的に変わろうとはしなかった
家族を守っていくという気概も
これからお金がかかるからもっと仕事がんばろう、稼いでこようという意欲も
子どもの手本になれる父親になろうという意識も
この先ずっと今ままではいけない、という向上心も
何一つ生まれることはなかった。
期待するのに疲れた
もっと仕事すれば給料増えるのに、今までしようともしなかった。1年以上前から「来月から残業頑張る、早起きもする」って言ってたのに。
待っても待っても、気持ちを伝えても「そんなにすぐ変わらないといけないの」と言って終わり。
結局、何も変わらない。
もう期待するのに疲れたよ。
自分らしくいられない

そんな冷たい言い方やめてよ。
夫が不機嫌にならないように、顔色を窺って過ごす。
言いたいことは、機嫌を損ねないように遠回しに言う。
嫌なことを言われても、気にしていないように、無理やり明るく機嫌よくふるまう。
自分の気持ちは、気づかれないようにそっと後ろに置いておく。
自分のやりたいことは出来ないから我慢する。
こんなの全然自分らしくない。
話し合いを重ねても歩み寄れない

できることなら歩み寄ろうと、何度も話し合った。
「暇な時間に自分の好きなことをして何が悪い」
「稼ぐことよりも帰ってきてから好きなことをする時間の方が大切だ」
夫は悪びれることなく、そう言った。
愕然とした。
独身ならそれでいい。好きなことをして、好きなように生きればいい。一人なら、自分のためだけに生きるなら、私だってそうするだろう。
しかし、家族を持つ人の発言とは思えない。「家族のために」という気持ちが、この言葉からは全く感じられなかった。
私は夫の考えにはどうしても賛同できない、夫は私の考えを理解できない。話し合いの内容は省略するが、根本的な考え方が違いすぎて互いの考えが理解できず、話し合いにならなかった。
何も伝わらない、これが価値観の違いなのかな。
これ以上話しても無駄だ。
そう思った。
いつの間にか笑えなくなっていた

あれ、笑えない。
いつから心から笑っていないんだろう。顔が引きつるし、鏡で見たらひどい顔。
休日が憂鬱、平日の帰宅が憂鬱、子どもといても楽しめない。
「おかえり」
上手く笑えない。
あぁ、そうか。「笑う」の反対は「泣く」「怒る」ではなく、無表情だったんだ。
子どもに触られたくない

出産前から赤ちゃんのためにタバコやめてって何度もお願いした。
つわりの時からタバコの臭い嫌だってずっと言ってきた。
赤ちゃん、アレルギー体質だからタバコも原因になるかもしれないって説明した。
タバコ臭い息で話しかけないで。
タバコ臭い手で触らないで、タバコ臭い服で近寄らないで。
子どもは人形じゃないんだ。可愛い可愛い言うだけなら誰でもできるし、そんなの子育てじゃない。
子どもの健康のことも将来のこともお金のことも何も考えてないくせに、子育てしている気になるな。
一緒にいるのが苦痛になった

夫がゲームをする姿も、コントローラーの音も話声も、動画の音も、スマホに夢中な姿も、私の顔色を伺って画面を閉じる仕草も。
私に言われたから渋々勉強する姿も、稼ぐよりも好きなことをしたいのに仕方なくする残業も、私の前だけタバコをやめたふりも。
もう見たくない。
嫌なところばかり目につき、欝々たる日々を過ごすようになる。 嫌なところばかりの夫は、ストレスそのものだった。
そして、無意識に夫から目を背けるようになる。
目を合わせたくない、顔も見たくない、夫といるのが精神的に辛い。
もう限界、離れたい

この状況を打破するにはどうすればいいかと考えたとき、別居のほかになかった。
離婚は夫が望んでいないし、急いでしなくてもいい。離婚したいという気持ちがあっても、時間をかけて慎重に考えるべきだと思う。
ただ、もう一緒にはいれない状態だった。
生活は夫がいなくても何とかできるから、とにかく離れたい。
離れて気持ちが落ち着くかもしれないし、距離を置くことで見えてくるものもあるだろう。
もう限界なんだ。
こうして私は別居を決意した。