我慢が美徳?我慢することで失われる3つのもの

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『我慢が美徳』という言葉があるほど人は、とりわけ日本人は我慢したがる。

この言葉に洗脳されて我慢が当然だと思っていないか。

我慢することで失われるものが少なくとも3つある。

  • 健全な心身
  • 時間
  • 自分らしさ

場合によってはもっと多い時だってある。

実は、我慢と忍耐は全くの別物だ

我慢して得られるものはある。辛い練習に耐えて試合に勝つ、辛い試験勉強を乗り越え試験に合格する、理不尽な上司に耐えて出世を目指す、など何かをなすためには我慢が必要だ。

だが、その類の我慢は実は我慢ではなく、忍耐だ。言葉では我慢といえど、意味合いは忍耐である。

忍耐は目的達成のためにその時まで耐え忍んでいる。自分にプラスになることのために、積極的に耐えているのだ。

我慢は何の目的もなく、ただ今の状況に耐えているだけ。何のためでもなく、ただ時間を消費して、消極的に耐えているのだ。

我慢しなくてはいけない時もある

いくら消極的といえど、もちろん我慢しなければいけない時だってある。

列に並ぶ、興味のない話を聞く、少し苦手ものを食べるくらいの我慢ならしてもいい。むしろできないと大人として恥ずかしい。そのくらいの我慢はできないと社会の中で生きていくのは困難だ。

だが、我慢することにより失われるものが大きい時、本当に我慢する必要があるのだろうか?

健全な心身が失われる

イジメや嫌だと思いながらの結婚生活、辛い逃げ出したいと思う職場など、精神を病むほどの環境。肉体が悲鳴をあげるほどの労働。

どれも我慢することなのか?我慢するのが当たり前という風潮により我慢してきた先人達は、我慢が足りないと罵倒するだろう。

身体や精神を壊してまで我慢した結果、得られるものは何なんだろう。

健全な新進よりも大切なものなんてそうそうあるものではない。そこまでする値のあるものが得られるのだろうか。

限りある大切な時間が失われる

皆、知っての通り時間は有限だ。限度が決まっているわけではないが、こうして生きていられる時間はいつ終わるか分からない、いつ終わってもおかしくない。それが時間だ。

つまり、時間の無駄遣いは人生の無駄ということになる。

先述した通り、我慢は、その限りある大切な時間を消費して消極的に耐えているだけ。大切な時間を使って我慢をしても、それに見合うものは得られない。我慢からは何も生まれないからだ。

自分らしさが失われる

自分を押し殺していないか。

本来の自分はこんなことはしたくないのに、こんなところにいたくないのに、我慢している。

本来の自分は、違う仕事がしたい、もっと友人と遊びたい、わがままを言いたい、もっとお喋りしたい、いろんな国に行ってみたい。けれどもそうはいかない環境にいるから我慢している。

本来の自分がやりたいことは、とーっても自分らしいこと。

我慢することにより自分らしさが失われていく。

我慢とは自分を押し殺す行為だ。

私は友人関係や好きな勉強、行きたいところなどを我慢していくうちに、自分が自分じゃなくなっていくのを感じたことがある。誰かに合わせた、誰かのための自分。言いたいことも言えず、誰かの顔色を伺いながらの生活。

そんなもの苦痛でしかないし、今となっては本当に馬鹿らしいと思う。

そんなに無理してまでその環境に身を置く必要はない。

自分らしくない人生なんてもったいないだけだ。

我慢は大切であるが、美徳ではない。

我慢は大切だ。それは否定しない。

だが、このように失うものが大きいとき、それは美徳とはなり得ない

この三つのうちのどれか一つでもが失われるほどの我慢をあなたがしているなら、今すぐ逃げ出していい

その場所に、その人に、しがみつかなくても出会いやチャンスはたくさんある。

顔を上げて違うところに目を向けてみようよ。世界は思っているよりもずっと広い。

誰しも、今の環境から抜け出して新しいことに挑戦するのは勇気がいる。けれど、その方がよっぽど得られるものが大きいはずなんだ。

大切なものを失いながら生きるもったいない人生よりも、健全な心身をもって、時間を大切にし、自分らしくいる人生の方が自分が輝ける

そんな自分の方が他者を幸せにできるし、何より、あなたが生き生きとしていることであなたを大切に思ってくれている人が幸せだ。

その方がよっぽど、徳のある生き方ではないか。

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