- 「自分らしく生きたい
- 好きなことをして生きたい
- 悔いのないように生きたい
私にはどれも無理。
「こういう風に生きたい」って思えることはいいことだけど、そう思いたいたいとは思わない。
これは、なぜ、そう思うのか。そして、どう生きていくのかの話。
「こういう風に生きたい」という願望はハードルが高すぎる

生きていれば自分らしくあれない時はある
毎朝、外用の顔を作り、満員電車で通勤、顔の表面だけ器用に動かして挨拶、パソコンと数字とにらめっこ。
なにこれ、全然自分らしくない。
好きなことをして生きるなんて難しい
一人ならまだしも、家庭を持つと一気に難易度が上がる。一人であれば、気楽にどこへでも行って、その日暮らしでも、危険なことでもなんでもすればいい。すごく楽しいと思う。
けど、子どもがいたり、大切な人がいるとそうもいかなくなる。自分だけの命、自分だけの人生ではないからだ。そうした規制の中で少しだけ好きなことが出来る。出来てもそんなもん。それを「心の底から好きなことをして生きている」といえるだろうか。
一人でも、ほとんどの人は好きなことをして生きていない。仕事は嫌だし、人間関係も面倒くさい。
増えていくto doリスト。減らないwant toリスト。
全ての嫌なことを避けるのは、降り続く弾丸を全て避けるのと同じくらい難しい。
生きていれば悔いは必ずどこかにある
後悔があることに気づいていない人は、どこかに置いてきているか、奥深くにしまい込んでいるだけ。
ほら、見つけた。こんなところにいたのね。
悔いのない人生を生きるなんて無茶ぶりだ。
あ、そういえば、一つだけ悔いのない人生を生きる方法があるよ。
それは
- 決められた人生を
- 何も考えずに
- 決められた通りに
- 生きる
そんな人生だったら後悔のしようがないよね。だって、何も考えていないし、自分で何一つ決めていない。
でも、そんな人生嫌だ。全然楽しくない。
ほら、やっぱり私には無理難題

勉強すれば解ける難題とは種類が違う。やって出来ないこともないかもしれない。
けど、相当の覚悟と努力が必要だ。
じゃあ、もっと難易度を下げればいいのか?
難易度を下げたところで、簡単な問題はクリアできてしまう。もっとこうなりたい!と高みを目指してしまうのが人間。
結局、難易度はマックスになるんだ。
そんな窮屈な人生は望んでいない

こういう生き方をしたいって決めたのに、出来ない。そんな自分になりたくない。
「こうならなければならない」と、無意識に自分の首を自分で締めている。
息が詰まる。まるで、こうありたいっていう願望と一緒にスーツケースに詰め込まれているようだ。
出来ないなら、決めない方がよっぽど楽に生きられる

窮屈だと感じるなら、そんなの取っ払ってそこから出てしまえばいい。
生き方なんて決めずに生きる。
でも、大切なことは心に留めておく。信念とかそういう自分の根っこの部分。
それさえしっかりあれば生き方なんて決めなくても大丈夫。ちゃんと生きられる。
私は一足先に出ちゃったよ。お先に失礼。軽くなったスーツケースを携えて、目的地まで軽やかに、そして全力で歩くんだ。