「産後クライシス」のリアルは言葉の何倍も壮絶である。ホルモンバランスがどうこうも関係してくるが、根本の原因はそれではない。
もし、ホルモンバランスが改善されて解決するなら、クライシスには陥らないはずだ。
アインシュタインはこう言った。
『男は結婚するとき、女が変わらないことを望む。女は結婚するとき、男が変わることを望む。お互いに失望することは不可避だ。』
だが、実際は、女は結婚するとき、男に変わることを望まない。なぜなら、二人の関係がベストな状態であるからこそ、結婚するのだ。
この言葉は結婚するときではなく、子供を授かったとき、現実となる。
二人だけの関係はベストでも、子供を授かると、二人の間に少しずつズレが生じ、かみ合っていたものがかみ合わなくなる。少しのズレから歯車狂い始める。
ズレはなぜ生じるのか

結婚して子供を授かると、夫を男としてだけでなく“父親”として見る。それは母親となった女の本能であり、理性が介入するところではない。そして、父親になれない夫を見て落胆する。
この時点ではまだズレは生じていない。なぜなら、妻は期待しているから。
「赤ちゃんが生まれたら変わってくれる、まだ父親の自覚が芽生えないだけなんだ」
と、夫の変化を信じ続ける。
その思いが時間をかけて裏切られていく過程で、少しずつズレが生じてくる。
子育てが始まると、その小さなズレが、堰を切ったように急激に大きくなり、歯車が修復不能なまでに狂っていく。
命を授かった喜びを分かち合えない、どこか他人事の夫。
自分の身体が劇的に変わっていくのを理解してくれない夫。
身体が変化し、辛い諸症状が出ても支えてくれない夫。
子育てについて関心のない夫。
子どものための将来設計をしようとしない夫。
父親になろうとしない夫に失望する

「子どもが生まれるまでは父親になることなんて難しい、存在を感じていないのになれといわれても無理だ」
と、思うかもしれない。だが、生物学的には、男も女も“子供を授かった瞬間から親”なのだ。そこに性差はない。
重要なのは、社会的に親になれるかどうかだ。
妻は二人の子が生まれる前から、徐々に母親になっている。なっているというより、なろうとしている。
同じように、夫にも父親になっていくことを期待するのは当然だし、自ら父親になろうとしなければならない。
まだ父親らしくなれなくてもいい
だけど、なろうとしてほしいんだ。
妊娠を経験してないから父親になれないのではなく、父親になろうとしていないだけ。
つまり、「意識の問題」である。
なろうとする意識、これが大切。その意識を見せてくれるだけでいいのに。
妻は出産前から母親になろうとしている
妊娠中、自分の中にいるわが子を感じ、母親としての自覚と責任が芽生えてくる。母親になろうとする。
そして、出産を通して心も体も母親となり、「この子を必死に守り抜かなければならい」そう思うんだ。
子育てなんてしたことないのに、“一人前の母親”として子どもを育てていかなければならない
生まれてきたばかりで肌も薄く、細くて折れそうな手足、その小さな身体で懸命に生きようとするわが子。
泣いているわが子と、何もわからない私。
まるで、「あなたの責任で生かしなさい。この子の命はあなたにかかっているの。母親なのだからこのくらい出来て当然、母親なのだからこのくらい分かって当然。」と、言われているようだ。
誰に言われるわけでもないが、母となった妻は、母親としての役割を果たそうとする。否応なしにそういう状況に置かれる。
産後、父親となったであろう夫を見て愕然とする
まだなの?
赤ちゃんが生まれるまで何か月も信じて、待ちに待った。
なのに、まだ父親になれていない夫がいる。妻はとっくの前に覚悟を決めて、母親になっているというのに。
いろんな手を尽くして父親になってもらおうとしてきたのに、何も伝わってなかったのかな。
子どもができれば自覚がわく人が多いだろう。中には、いつまでも独身気分で妻に頼りっきりの人もいる。
変わらない夫が憎い

母親は子育てに身も心も削る
泣きわめく声を一日中聞き、頻度の多い授乳のせいでほとんど抱っこしたきり。赤ちゃんの体を清潔に保ち、食事を与え、赤ちゃんのために掃除もしなくてはならない。
身動きも取れず、夜も眠れず、それはもう命がけで子供を育てている。心身ともにわが子に捧げるのだ。
夫は父親になることはなく、何も変わらない
今まで述べたように妻は変わらざるを得ない。
だが、夫はどうだ。
今までと同じように朝はギリギリに起き、昼間は仕事に行き、帰ってきてからは好きなことをし、夜は眠る。
何事もなかったかのように、何の変化もなく穏やかに過ごす夫が羨ましい。
赤ちゃんこんなに泣いてるよ。私はこんなにボロボロなのに、二人の子なのに、どうして私だけ。
羨望が嫉妬へ、そして憎しみへと変わっていく。
夫は生活ではなく、意識を変えなければならない

夫は仕事があるため、育休中の妻のように劇的に生活を変える必要はない。
だが、父親となる必要だけはある。意識を父親モードに変えなければならないのだ。
母親の思考は子供中心となる。夫のことを「子どもの父親」として見るため、父親としての姿を求める。
父親として、
子どもの見本となり、良い影響を与えてくれるか。
子どもを守ってくれるか。
子どもにかかる費用を稼いでくれるか。
子どもに適切な教育ができるか。
子どもの将来を考えてくれるか。
そういう目線で見る。
もちろん、母親にこれらの意識はある。求めているだけではなく、いざとなれば担う覚悟も。
けど、夫にその気はあるのか、その意識はあるのか。父親になるとはそういうこと。
妻は母親となったとき、夫を父親として頼りにしたいと思う

夫はいつまでも変わらないままではダメなのだ。
初めての子育て、分からないことだらけで不安でいっぱい。社会との繋がりが希薄になり、ずっと子どもにつきっきり。弱音を吐きたい、身体もきつい、助けて。
そんな状態の妻は、夫に頼らず、誰に頼るというのか。
独身気分の夫、家族を守る気のない夫、頼りにならない夫、父親らしくない夫。
いつまでも変わる気のない夫。
あぁ、もう限界だ。あれ、好きっていう気持ちどこにいったっけ。
そして、「頼りにならない夫ならいらない」「子どもがもう一人いるみたいで余計疲れる」「こんな父親、子どもに悪影響」「夫嫌い」「顔も見たくない」
「離婚したい」
という思考に陥る。
これが産後クライシスのリアルである。
夫婦は親となったとき、どうあるべきか

夫は妻の一番の話し相手であり、理解者でなければいけない。
母親が「子どもに悪影響だ」と思うことを父親がしてはいけない。
逆も然り。当然である。
一方が変われば、もう一方も変わる。
お互いを思いやり、苦楽を分かち合い、共に成長していく。
これがあるべき姿ではないだろうか。
そうあれば、産後クライシスには陥らないだろうし、離婚に繋がることもない。
「愛するわが子を二人で育てたい」
お互い、そう思っているんだから。